滋賀県彦根市のキャラクター「ひこにゃん」。その活動の歴史には、市と原作者の間で、イラストの使い方や関連商品の販売をめぐって争われた時期があります。
この紛争は、2007年の民事調停を経た後も続き、仮処分の手続と通常の訴訟へ発展しました。裁判上の決着は2012年11月の和解です。その後、2016年には利用条件を調整する覚書が結ばれ、2021年には市と原作者による協力強化が公表されました。
本記事では、公表資料と報道を基に、紛争の経緯と、終結後に確認できる変化を整理します。
【重要】 本記事の位置づけについて
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本記事は、公表された裁判資料・公式発表・報道を紹介する情報提供記事です。個別の法律相談、法的助言、交渉・手続きの代行を目的とするものではありません。本文中の法的判断は裁判所の判断として紹介し、筆者が独自に当事者の適法性や責任を判定するものではありません。
双方の対応や本件の経緯についての評価は、掲載資料を踏まえて読者の皆さまに委ねます。個別の法律問題について判断が必要な場合は、弁護士などの専門家にご相談ください。
誰と誰が、何をめぐって争ったのか
「ひこにゃん」は、2007年開催の「国宝・彦根城築城400年祭」に向けて誕生したキャラクターです。原作者は、イラストレーターのもへろん氏。基本となる3ポーズのイラストについて、400年祭実行委員会が著作権を譲り受け、その後、実行委員会の解散に伴って彦根市へ承継されました。
紛争には、彦根市と原作者に加え、作者の所属会社である桜井デザインや、関連する商品の製造販売業者も関わっています。
中心となったのは、次のような問題でした。
- 元のイラストと異なるポーズや立体商品を、どこまで作れるのか。
- 市側が付け加えた性格設定や、商品の表現をどう扱うのか。
- 作者が描いた類似キャラクター「ひこねのよいにゃんこ」を使って、商品を製造・販売できるのか。
- 当初の契約や2007年の調停で、どの範囲まで利用が認められていたのか。
著作権を誰が持っているかに加え、その権利や合意の範囲をめぐって対立が続きました。
調停から訴訟終結までの時系列
| 時期 | 主な出来事 |
|---|---|
| 2006年 | 400年祭に向けて「ひこにゃん」が誕生。基本となる3ポーズのイラストが用意される。 |
| 2007年11月までに | 原作者側が、キャラクターの使用中止などを求めて民事調停を申し立てる。 |
| 2007年12月14日 | 彦根簡易裁判所で調停成立。市による利用が継続される。 |
| 2009年7月 | 市が「ひこねのよいにゃんこ」関連商品の販売中止を要求する。 |
| 2010年 | 市が大阪地方裁判所へ、類似商品の販売などの差止めを求める仮処分を申し立てる。 |
| 2010年12月24日 | 大阪地裁が市の申立てを却下。市は即時抗告する。 |
| 2011年3月28日 | 市が大阪地裁に通常の訴訟を提起。製造・販売差止めと4,750万円の損害賠償を求める。 |
| 2011年3月31日 | 大阪高等裁判所が、類似商品の差止めの仮処分を認める。 |
| 2012年11月22日 | 大阪地裁で和解が成立し、訴訟が終結する。 |
| 2013年1月30日 | 彦根市が、和解の要点を公表する。 |
2007年:キャラクターの使い方をめぐって調停へ
2007年の対立では、作者側が、原作者の意図しない性格設定や商品の表現を問題視しました。当時の報道では、「お肉が大好き」などの設定が付け加えられたことを理由に、著作者人格権の一つである「同一性保持権」の侵害などを主張していたとされています。
同一性保持権は、作品の内容などを作者の意に反して変更されないことに関わる権利です。ただし、ここで紹介しているのは作者側の主張であり、その主張がすべて裁判で認められたという意味ではありません。
市側は要求を争いましたが、同年12月14日、彦根簡易裁判所で調停が成立しました。ひこにゃんは、その後も市のキャラクターとして活動を続けることになりました。
調停は、裁判所の関与の下で、当事者が話し合いによる解決を目指す手続です。この調停で一度は合意に至ったものの、後に、立体商品や類似イラストの利用までどの範囲で認められたのかが争われることになります。
2009~2010年:「ひこねのよいにゃんこ」の商品販売が争点に
次に問題となったのが、もへろん氏が描いた「ひこねのよいにゃんこ」を使った関連商品です。
彦根市は、これらの商品が市の権利を侵害しているとして、2009年7月に販売中止を要求しました。その後、市は大阪地裁に差止めの仮処分を申し立てます。
仮処分とは、通常の訴訟による最終的な決着を待つ間に、暫定的な措置を求める手続です。この件では、類似イラストを使用した商品の販売などを止めることが求められました。
大阪地裁は2010年12月24日、市の申立てを却下しました。当時の裁判記録の紹介によれば、市が調停に反して3ポーズ以外のグッズを許可していたことなどを踏まえ、差止め請求を権利の濫用と判断したとされています。
この決定が報道されたのは2011年1月です。そのため、記事によって「2010年12月の決定」と「2011年1月の報道」が混在しています。
2011年:通常の訴訟を提起し、高裁では差止めが認められる
市は地裁の仮処分決定に不服を申し立てる一方、2011年3月28日、原作者、所属会社、製造販売業者らを相手に、通常の訴訟を起こしました。
提訴時に求めたのは、類似商品の製造・販売差止めと、4,750万円の損害賠償です。この金額は市が請求した額であり、そのまま裁判所が認定した損害額ではありません。
仮処分の手続では、同年3月31日、大阪高裁が地裁の決定を変更し、差止めを認めました。
決定の紹介資料によると、市は高裁で著作権に基づく差止めの主張を追加しています。高裁は契約書や仕様書の内容を検討し、立体的な使用が予定されていたことなどから、元のイラストを基に立体物を作る権利も実行委員会へ譲渡され、市が承継したと判断しました。
このため、地裁と高裁の経過は、単に同じ主張に対して反対の結論が出たと説明するだけでは十分ではありません。主張の組み立てにも変更がありました。また、高裁の決定は仮処分についての判断であり、通常の訴訟の最終判決ではありません。
2012年11月:判決ではなく和解で終結
通常の訴訟は、2012年11月22日、大阪地裁で和解が成立して終結しました。彦根市は翌2013年1月30日、和解の要点を公表しています。
市の公表内容は、次のとおりです。
| 項目 | 和解で定められた主な内容 |
|---|---|
| 類似商品の製造・販売 | 原作者、所属会社、販売業者は、類似イラストを使用した商品の製造・販売をしない。 |
| 類似イラストの出版利用 | 既刊の絵本2冊を除き、新たな絵本などを出版しない。 |
| 解決金 | 販売業者が、市へ合計370万円を支払う。 |
| 権利の帰属 | 翻案権と二次的著作物利用権が彦根市に帰属する。 |
| 物語作品への利用 | 絵本・漫画・アニメ・映画などの制作には、市の非営利の広報活動などを除き、原作者の同意を必要とする。 |
「翻案権」は、元の作品に創作的な変更を加えて別の作品を作る権利です。「二次的著作物利用権」は、そのように作られた作品の利用に関する、原作者側の権利を指します。
ここでの370万円は、販売業者から支払われた解決金です。原作者本人に対して370万円の損害賠償を命じる判決が出た、という経緯ではありません。
終結後、ひこにゃんの利用や活動はどう変わったのか
2016年:覚書で新しい表現への利用条件を調整
上述のとおり、2012年の和解後も、ひこにゃんを新しい作品へ展開する際には条件が残っていました。
2016年7月25日、市と作者側は、ひこにゃんの活用に関する覚書を締結します。当時の報道によると、新しいイラストの作成、既存イラストの部分使用、絵本やアニメなどへの利用に関する制限を緩和することで合意しました。
市が新たな作品などを作る際には、作者に依頼して制作する形が示されています。この覚書によって、市と原作者が協力しながら、新しい表現を加えていくための条件が整えられました。
2012年の出来事は裁判上の和解、2016年の出来事はその後の利用条件の調整です。両者を同じ出来事として扱わないことが、経緯を理解する上で大切です。
2017~2021年:新しいポーズの追加と協力強化
2017年3月には、ひこにゃんの「バンザイ」のイラストが追加されました。
さらに2021年7月7日には、もへろん氏と当時の彦根市長・和田裕行氏が共同会見を行い、今後の協力強化を公表しています。市の発表一覧には、同年8月以降、作者が制作した新規イラストに関する案内が複数掲載されています。
2021年の会見は、裁判がこの時点で終わったという意味ではありません。2012年の訴訟終結、2016年の覚書を経た後に、市と原作者が協力関係を公に示した出来事です。
2024~2025年:絵本の出版とイラストの商品利用へ
2024年4月13日には、『ひこにゃんえほん』が発売されました。もへろんスタジオは発売前の同年3月、市へ1~3巻の500セット、計1,500冊を寄贈しています。
市は、寄贈された絵本について、幼稚園、保育園、小学校などへの配布や、公共施設への設置を予定すると発表しました。
2025年9月29日には、絵本に登場するイラストの商品利用について、申請受付が開始されています。「ひこにゃん」のほか、「わるにゃんこ将軍」など、絵本に登場するキャラクターのイラストも対象となりました。受付窓口はもへろんスタジオで、利用にはイラストに応じた手数料が必要とされています。
これらは、訴訟終結後に実際に確認できる、出版や商品展開の動きです。
商品利用の広がりと、経済的な影響の捉え方
和解後の影響を考える際には、権利関係の整理と、売上や契約件数の変化を分けて見る必要があります。
市の報告書によると、商標使用の新規契約件数は2013年度に699件でしたが、2016年度には428件でした。訴訟が終わった後、商品利用が一貫して増え続けたわけではありません。
ただし、この数字だけから、減少の原因を訴訟や利用条件に特定することはできません。市の資料でも、後年の商標使用には、観光需要やコロナ禍、新規イラストの追加など複数の事情が関係していることが説明されています。
その後、市は無償化の実証実験を経て、2024年10月1日から商標使用を正式に原則無償化しました。使用許諾の手続は引き続き必要で、別途費用が発生するイラストもあります。
この無償化は、2012年の和解から年月を経て行われた利用促進策です。和解そのものの条件や、直接の経済効果として扱うことは避ける必要があります。
この経緯を読む際に区別しておきたいこと
| 混同しやすい事項 | 本記事での整理 |
|---|---|
| 作者側が権利侵害を主張したこと | その主張がすべて裁判で認められたこととは区別する。 |
| 高裁で差止めが認められたこと | 仮処分の判断であり、通常の訴訟の最終判決とは区別する。 |
| 市が4,750万円を請求したこと | 裁判所が同額の損害を認定したことを意味しない。 |
| 370万円が支払われたこと | 販売業者による和解上の解決金であり、原作者本人への賠償命令ではない。 |
| 2012年の和解 | 裁判上の終結。 |
| 2016年の覚書 | 新しい作品やイラストへの利用条件の調整。 |
| 2021年の共同会見 | 市と原作者による協力強化の公表。 |
公表された和解内容から確認できるのは、当事者が合意した条件です。そこから、どちらか一方の主張が全面的に正しかった、あるいは一方にすべての責任があったと結論づけることは、本記事では行いません。
当事者の主張や裁判所の判断を、それぞれの段階に即して確認した上で、一連の経緯やその後の対応への評価は、読者の皆さまに委ねます。
