2019年5月5日日常生活

4月27日に幕を開けた10連休も、そろそろ終わりを迎えようとしている。かつてない長期連休、皆はそれぞれ思い思いの日々を過ごしたかと思う。

この連休、私に関してはどうだったか、自身の今後の参考にもしたいので、書き残しておくこととしたい。

 

長期休暇の過ごし方がまるで分かっていない

10連休という長さそのものが滅多にないということもあったかもしれないが、とにもかくにも無計画に過ごしてしまった感じがする、というのが第一印象だ。

事前の計画が中途半端だったことも原因の一つだとは思う。しかし、それ以上に痛感したのが、「長期間の休みをどう過ごすかについて、まるで分かっていない」ということである。端的に言って、「小学生が夏休みにダラダラと過ごして時間を無駄にしてしまう」のと似ているのだ。

例えば、費用について考えてみると、暇を潰すためだけに結構なお金を費やしてしまったし、高額商品の衝動買いも少しやってしまった(まだ使えるバッグがあったのに、高額のバッグを買ってしまう、など)。これは、休みのうちにどれだけお金が飛んでゆくかを全く考慮しなかったからだ。こういったところは私の大きな手落ちであり、次の長期休暇以降に活かしていかないといけない。湯水のごとくお金を使えるわけではなく、どうしても限界はあるので、どのように使うかを今からでも考えておく必要がある。

 

やりたいことも結構できた反面、反省事項もそこそこある

行動そのものについて考えてみても、良かったことも良くなかったことも多々ある。

前々からやりたかったことを数多くこなすこともできた。特に、英語やQC検定の勉強について取っ掛かりができたことは大きな進歩と言えるだろう。

だが、とにかく行き当たりばったりだったので、衝動的にやりたくなったこと(しかもそれほど重要ではないこと)に手を付けてしまうことも多かった。その分、時間を無駄に遣ってしまうわけである。

無駄な時間そのものが悪いとは言わない(それどころか絶対に必要なものである)。しかし、計画性のなさから生じてくる無駄は、できる限り潰してゆく必要がある。それなのに、何の対策もしないまま指をくわえるだけだったのだから、始末に負えない。

今度の長期連休には、やりたいことをしっかりと見極め、できるだけ、それだけに集中的に取り組むようにしたいところだ。

 

次以降の長期休暇の過ごし方を、今のうちから考えておく必要がある

とにかく、私は長期間の休みを過ごすのが下手である。今回の10連休ほど、そのことを大きく感じたことはない。こういったものに全然慣れていないということもあるだろうが、そんなのは恐らく理由にならない。

次回の連休は十中八九お盆休みとなるだろう。残り3ヶ月と少しだ。その間どう過ごすかについて、少しずつ計画を作っておかないといけない(直前にちょこっとやろうとするのでは、絶対にうまくいかないだろうから)。

 

せっかくの連休だったのだから、もっと有意義に過ごしたかったものだ。

2019年5月2日日常生活

昨日、西暦2019年5月1日をもって、元号が「令和」という新しいものに切り替わったのは、既に皆様ご存じのことであろう。このことに関して、それぞれ思うところがあるだろうけれども、一つの区切りを迎えたのは疑いようのないことなのだから、気持ちを切り替えるには、これ以上ないくらいに良い機会だと思う。

そこで、これまでの私の生き方について少々反省しつつ、これからの人生についての展望を考えてみることとしたい。

 

「平成」の私は総じて生き方が雑だった

つい最近まで、私は本当に生き急いでいたように思う。そのために、どうしても行動がどれもこれも雑になってしまっていて、一貫性を維持することすらままならなかったのではないか。また、仕事でも家事でも、丁寧に仕上げようとしないばかりに、後でひどい目に遭ってしまうこともしばしばあった。

総じて考えてみるに、「結果さえ出れば良い」というのが、従来の私のスタンスだったように思う。だが、付け焼き刃程度の練習で成果が出るとは考えにくいし、日頃の積み重ねというものを大事にしていかなければ、高い山を制覇することはとうてい不可能だ。いや、高さがそれほどないものであっても、大変に困難であることは疑いようがない。

「拙速は巧遅に勝る」とはよく言われることだが、これも度が過ぎてしまうとどうしようもなくなる。せっかく早く終わらせても、完成したものの質が悪ければ、評価されないことになってしまう。また、時間ばかりに囚われて、時間を要するが不可欠である行程をすっ飛ばしてしまう事態も生じうる。こういったことにまるで気がつかなかったのが、今までの私の生き方の反省点である。

 

これからの私なりの指針:丁寧さを意識する

以上のようなことを今後できるだけ繰り返さないためにも、例えば次のような動き方をしっかりと身につける必要がある。

  • 時間をかけるべきところはしっかりかける
  • 時間は少しかかっても良いから、丁寧に仕上げる
  • 出来上がるスピードにこだわりすぎない
  • つまらないミスを見過ごすのではなく、防ぐ方法をしっかりと考え、実行に移す

つまり、「早さよりも質や丁寧さを意識した生き方をするようにしたい」というところだ。もちろん、早く終えられるところはそのようにして構わないけれども、いつもアクセル踏みっぱなし、というような状態だけは避けたいのである。

 

雑な生き方は浪費を生む

今になって気がついたのだが、「雑に生きれば、それだけ時間や金銭を浪費してしまう」のだ。

例えば、欲求に動かされるがまま、後先のことを考えずに物品を買い続けてしまうと、買い物に費やした時間やお金のうちの大多数は、おそらく無駄になってしまうことだろう。必要性や割くべき時間のことなど全く考えていないのだから、致し方あるまい。それらが後々ゴミになったとしても、それは自業自得である。

ただ、恥ずかしいことに、私の半生はこういったことの繰り返しだった。必要がなくても「便利だから」「後々役に立つだろうから」と理由をつけて手を出してしまうわけである。物や時間を大切にしているように見えて、根っこでは全然大切にしていなかった証左だ。

お金を本当に大切にしているのならば、必要なもののみにお金を使い、必要のないものは、手に入れたいものであっても使わない、というような姿勢を貫くことが必要だ。また、時間を本当に大切にしているのであれば、余計な道草(とりわけ無駄なショッピング)に時間を割かないことが肝要である。

これからは、できるだけ物を捨てることのないよう、あらかじめ物を買い控えるようにし、その分、既に手元にある良い品々を大切に扱うようにしていきたい。おそらくその方が支出が減る分、金銭的にも豊かになれるだろうし、将来的には心にもゆとりが生まれてくるだろう。

せっかくの、一回こっきりの人生である。どうして大切にしないことがあるだろうか。

2019年3月28日日常生活

今年は5月1日が祝日となるにあたって、4月27日から5月6日までの10日間が休日となっているところもあるかもしれない。実際、私の職場もそんな感じで、結構長い休みが付与されることが決まってしまったので、いったいどう過ごしたら良いものか、現在思案しているというところ。

例えば、丸10日間、ずっと勉強漬け、作業漬けになるのも良いかもしれない。しかし、一週間以上もの間、同じ生活スタイルを維持し続けられるわけはない。私はどちらかというと飽きっぽく、つい色々なことに手を出してしまいたくなる性分で、一つのことだけに長期間集中するということがなかなかできないのだ。

なので、やりたいことを少しずつ進めていきながら、所々で気晴らしがてら何かやる、というのが良いのかもしれない。と言っても、大阪や東京に出かけるほどの余裕は今のところないし、仮に行ったとしても、連休特有の喧騒が待ち受けているだろうことは目に見えている。既に慣れてしまっているとは言え、2日や3日、がやつきの中をウロウロするだけでも、かなりの疲労になるだろう。

だからこそ、割とひっそりとしたゴールデンウィークを過ごすことになるに違いない。出雲市街地や郊外、あるいは松江、米子の方に行くことはあるかもしれないが、遠くに出ると言ってもせいぜいその程度だろう。むしろ、今は将来のためにも少しでもお金を貯めておきたいので、なるべく無駄遣いしないように動いていかないといけない(都会に出ると、どうしても無駄遣いしてしまう)。

とりあえず、今からでも、連休中どうしようか考えていきたいと思う。やることがないと退屈してしまうだろうから、何かできることを用意したい。

2019年2月26日日常生活

私は何をするにも目先の結果のことしか考えられず、急いで成し遂げようとする癖があるように思う。要するに、何かをやろうとするのに、必要以上のスピードを求めすぎてしまっているのだ。

何をするにも、スピードは確かに大事だ。結果など、分かるものならすぐに分かるのが良い。だからと言って、事前調査や計画立案などせず、後先考えずに動いてしまうのでは良くない。時間や金銭の浪費につながってしまうし、何より疲労を過剰に背負いこんでしまうことにもなりうる。

急ぐのは急ぐべきときだけで構わない。急ぐ必要のないことまで急いでしまうと、自分自身に大きな負担がかかるのはもちろん、場合によっては周囲にも迷惑をかけてしまう。そして、何よりも大事なのが、急いだからといって大きな成果が得られるとは限らないことだ(重要でない些細なことで急いでしまった場合に、くたびれ儲けとなった事例は、数え切れないほどあるだろう)。

私はどうしても「すぐに、すぐに」と動いてしまいがちで、それだけ自分の心身にかなりの負荷をかけてしまっているように思う。「ゆっくりとくつろぐ」ということも大事であるということは、理論上は理解しているつもりだ。しかし、時間の大きな無駄だと内心思っているようで、思い立つと動いてしまう癖がなかなか抜けない。

「思い立った時に動ける」というのは大きなメリットがある反面、行動が無計画になりがちで結果的に大損となってしまうことも多い。我先に、と急ごうとしているときは特にそうだ。だからこそ、私はじっくりとしようとする習慣も身につけないといけないと思う。生き方や暮らし方に緩急をつけるようにするというものだ。

急ぐべきときには急ぐようにしないといけないが、必要のないことや時間をかけるべき物事などには、腰を据えてじっくりと取り掛かるようにする。このような過ごし方を、今日からでも少しずつ実践していければ良いかな、と思う。

2019年2月2日日常生活出雲大社,出雲市,岡山県岡山市,島根県の話題

izumoshi

仕事の都合により、去年10月初頭に出雲に転居してから、およそ4ヶ月が経つ。仕事そのものは割とハードで、厳しい場面も何度も訪れているけれども、それでも何とかついていけているので、その面に関しては良いと思っている。数ヶ月分の給与や再就職手当も手に入った分、当分はお金に困ることはなさそうだ。

ただ、前の住居(岡山市)に比べると、交通網が発達しているとはお世辞にも言えない。出雲市内は列車やバスの本数が少なく、自転車や自動車がないと移動は不便だ。あの出雲大社に行く便でさえ、およそ30分に1本くらいというところからも、規模の小ささが窺える(ちなみに、岡山では岡山駅と後楽園をつなぐ路線バスが過剰供給と言えるくらいのペースで運行されている)。

2019年1月28日日常生活

これまでの私の動きを見ていると、どうも色々なところに首を突っ込みすぎて、自分で勝手に疲労を抱え込んでしまっているような気がしてならない。一箇所にずっと居つくというのではなく、回遊魚のごとくあちらこちら動き回ってしまい、後々取り返しのつかないことになってしまうわけだ。

こうなると、色々な物事について多少の知見が得られる反面、疲れのあまり倒れこんだり塞ぎ込んだりしてしまって、気分はたいそう落ち込んでしまうことだろう。まさに自業自得、擁護しようのない自滅である。

だから、今の私が第一に獲得すべきなのは安心して寛げる場所であり、そういう環境を日頃から意識して作り出していかなければいけない。もちろん、勉強や仕事もとても大事だが、それと同じくらい、休息や安息も重要なのである。あちらこちらに絶えず顔を出すだけで全てが解決できるわけではない。

思い切り羽を伸ばせる環境を目指して、今後少しずつ動いてゆく必要があるのではないかと思う。動くべきときには大いに動いて良いだろうが、実際のところ、そういうときばかりではない。一日や二日、何とか立ち止まってじっくりと物思いに耽る方が良いときだって十二分にあり得るのだ。

とりあえず、今はじっくりと休みたいところである。あるいは、じっくり休めるような仕組みを作っていきたいところだ。